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直訳では伝わらない日本語の特性|翻訳の工夫と実例

日本語に宿る“余白”や“余韻”。それは直訳では伝えることはできません。では、どのようにすれば伝わるのでしょうか。本記事では、翻訳者の視点からその美学を紐解き、具体的な訳例を交えて翻訳の工夫を紹介します。


1. 翻訳とは『言葉を移す』だけではない:直訳と意訳の違い


「よろしくお願いいたします。」


この一文を、英語に訳すとしたらどうなるでしょうか。

"Thank you in advance.""I appreciate your cooperation."あるいはシンプルに、"Best regards." とすることも多いかと思います。

しかしこれらはどれも本質的に原文とは少し違う気がします。

原文の言葉に込められた「控えめな願い」「相手への敬意」「関係性への期待」といった、言葉の“奥”にあるものが、こぼれ落ちています。


翻訳とは、言葉を単純に別の言語に置き換える作業ではありません。

それは、言葉にならないものを言葉で伝える、という矛盾に向き合う営みでもあります。

同様に、「ありがとう」と “Thank you” は、本当はバックグラウンドもニュアンスも違う別々の言葉ですが、翻訳は、それらを「同じもの」と見なすという前提の上に成り立っています。

しかし、その背景やニュアンスの違いをどれだけ汲み取れるかによって、選択する語彙の幅も深さも変わってきます。


2. 日本語の“余白”をどう訳すか:翻訳者の視点


日本語には、「言わぬが花」という美意識があります。

すべてを語らず、あえて余白を残すことで、読み手や聞き手の想像力に委ねる。

それは、和歌や俳句、そしてお茶やいけばな、能、歌舞伎など、日本のすべての伝統文化に顕著に見られる表現のあり方です。


たとえば、松尾芭蕉の句:


古池や 蛙飛びこむ 水の音


この句を英訳する際、よく知られる訳に次のようなものがあります:


An old pond—

A frog jumps in,

The sound of water.

―Translated by Donald Keene


この訳は、原句の構造を保ちつつ、静けさと動きの対比を英語で再現しています。

しかし、「や」という切れ字が持つ詠嘆や「間」の感覚、あるいは「水の音」に至るまでの沈黙の時間は、英語では完全には再現できていません。


たとえば以下のような訳文ではどうでしょうか。


In the stillness of an old pond,

a frog leaps—

and the silence breaks into sound.


「stillness(静けさ)」や「breaks into sound(音が生まれる)」などの表現、さらにダッシュ(—)を加えることで、句の余白にある意味を補い、読者の想像力を高めてみました。



3. 翻訳における“余韻”の再構築


原稿の目的にも依りますが、翻訳者の仕事は、原文の意味をそのまま伝えることだけではありません。

それは原文が持つ「響き」や「語感」、読後に残る“余韻”を、別の言語で再構築、再現するための試みでもあります。


たとえば、茶道の世界でよく登場する「一期一会」という言葉。

直訳すれば "one time, one meeting" ですが、それではこの言葉が持つ「今この瞬間を大切にする」という精神性は伝わりません。


京あはせでは、文脈に応じて次のような訳文も検討します:


A once-in-a-lifetime encounter—

cherish this moment as if it will never come again.


より簡潔な表現としては、次のような訳もあります:


Treasure each encounter; it will never recur.


こうした訳は「意訳」と呼ばれるものですが、「一期一会」が持つ儚さや尊さといった余韻を、よりしっかりと伝えるための“再構成”だと考えています。



4. 「あはせ」の精神で訳す


「京あはせ」という社名には、「異なるものを、調和のうちに合わせる」という意味を込めています。

それは、異なる言語、異なる文化、異なる価値観を、無理に統一するのではなく、互いの違いを尊重しながら“あはせる”という姿勢です。


たとえば、以前当社が翻訳を担当した、池坊専永家元による書籍『池のほとり』の中に、「気配」という章がありました。この「気配」という言葉を英語に訳す際、私たちは単に "atmosphere" や "presence" といった語ではなく、あえて "Sign" という語を選びました。


また、同書に登場する次の一節:


「庭も能もいけばなも、空間や間に存在する気配なくしては、成り立たない美がある」


この文を、私たちは次のように訳しました:

Gardens, noh, and ikebana commonly try to express the same Japanese aesthetics, one of which manifests itself as blank areas or regions containing nothing.


ここで注目したのは、「気配」という言葉が、単なる雰囲気や存在感ではなく、「何もない空間に宿る美意識」そのものであるという点です。それを英語でどう再構成するか。私たちは、“blank areas” や “regions containing nothing” という表現を用いることで、日本文化における「余白」や「間」の美を、英語の文脈にあわせて丁寧に再現しようと試みました。

翻訳とは、こうした「言葉にならないもの」を、別の言語の中でどう“あはせる”かという挑戦でもあります。


5. AI翻訳では訳せない“気配”を伝えるために


AI翻訳が進化する現代において、翻訳者の役割は変わりつつあります。

しかし、言葉の奥にある「気配」や「余白」、そして「余韻」を感じ取り、それを別の言語で丁寧に再現することは、今もなお人の手に委ねられています。

私たちは、これからも「ことばの奥にあるもの」を見つめ、丁寧に訳し、静かに伝えていきたいと考えています。

それが、「京あはせ」の翻訳哲学であり、私たちの誇りです。



※本記事に掲載した原文および訳文は、池坊専永著『池のほとり』(株式会社日本華道社、2016年)より、当社が翻訳を担当した内容の一部を引用しています。英訳版は2017年に同社より刊行され、翻訳クレジットには “Translated by Kyo Awase Inc.” と記載されています。

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