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「書いてあること」から「書きたかったこと」へ

―翻訳者はAI翻訳に仕事を奪われてしまうのか―


先日、当社スタッフの間で「春はあけぼの」を英訳するとどうなるか、という話題になりました。日本人なら誰でも知っている有名な「枕草子」の冒頭のフレーズ、この短い文に「春という季節は夜明けのひとときが最も素晴らしい(と作者が思っている)」という意味が込められていることから、英語だと “In spring, dawn is beautiful more than anything else.” や “My favorite moment in spring is definitely dawn.” という訳文が思い浮かびます。一方、Google翻訳にこの文章を入れてみると “Spring is Akebono” となりました。古文なので仕方ないとはいえ、やはりそうなってしまうのか、という結果です。


清少納言はこんな空が好きだったのでしょうか

それでも、ひと昔前に比べると、Google翻訳も、その他のウェブ検索で見つかる訳文も、ずいぶん進化してきたように思います。たとえば、「いい加減にして」という口語の文章をGoogle翻訳に入れてみると、何年か前だと直訳調の “Make good adjustments”という感じだったのが、今では “Come on”という自然な訳語が現れます(ちなみに「いい加減にしてください」にすると “Please be sloppy”となります。日本語は難しい)。ウェブという広大なデータベースの中に人が日々多くの情報を入力し、そこから適切な訳語をピックアップしてゆくプロセスの中で成長し、加速度的に精度が上がってきている証拠でしょう。「春はあけぼの」も、やがてはシステムで見事な訳文に変換できるようになるのかもしれません。

実際、便利ですよね・・何より早い!

事実、クライアントと話していても、ちょっとした翻訳ならウェブやシステムに頼っている、と回答される割合が年々多くなってきています。であれば、この先数年で、翻訳者の仕事はAIに奪われていってしまうのではないか。コロナ禍以降、デジタル化、自動化が飛躍的に進む他の多くの業界と同様に、人による翻訳の出番は徐々になくなってゆくのではないか。そうした不安や焦燥感を感じている翻訳者も多いことと思います。私自身も、その一人でした。


しかしある仕事をしている中で、ふと「正しい翻訳」とは何かを考える機会に恵まれました。その仕事で翻訳をした元原稿には、他の多くの場合と同様に、小さな不整合や明らかな書き間違いが多く含まれていました。そうした原稿を翻訳する場合、翻訳者は通常、原稿内の誤りを指摘し修正しながら、訳文では元原稿の誤りを複製しないようにします。そして納品するときにはかならず、クライアントに元原稿内の誤りについても報告します。時には元原稿には書いていない文章を補足したりもします。


原稿自体の校正が必要なこともよくあります

こうした作業は、現在の翻訳エンジンでは(少なくともまだしばらくの間は)十分に行えません。AIは膨大なデータベースの中から統計学的に多く引き当てられている訳語とのマッチングを行っているだけで、翻訳する原稿や訳した文章の意味の理解や判断はしていないからです。人が介在して学習させない限り、元原稿の誤りは「正しく」訳文に引き継がれ、元原稿の粗さも「正しく」訳文に複製されがちです。考えようによってはこれこそ原稿通りの「正しい」翻訳と言えるかもしれませんが、翻訳した後の運用を第一目的にしている以上、作業としての「正しい」翻訳というだけでは不足があります。実際の現場では、人による判断や訂正、コメント出しといった「おせっかいな介在作業」が不可欠です。


この事実は、翻訳する文章を作っているのが人間であることに基づいています。これを読み取り理解し、より分かりやすい形態で表現し直すこと。そのためには、行間を読み、背景状況を理解し、さらには書いた人、読む人の都合や希望に沿う努力が必要です。つまり翻訳元原稿に「何と書いてあるか」だけでなく「(本当は)どう書きたかった内容なのか」に想像力を巡らせることが肝心なのです。


こうした、単純に「書いてある内容」を超えた、「人(の書いた原稿)に寄り添い、文脈を想像する姿勢」は、人間の得意技です。クライアントの都合、作者の想い、読者の状況、そうしたものに想像力を働かせながら、翻訳者は適切な言葉を探し当て、翻訳作業を行っています。それは、翻訳者の能力もさることながら、翻訳者が自身の翻訳した文章が少しでも「人の役に立つもの」になってほしい、と心から願っているからです。


知識や技術というものは、やがて必ず、新たな知識や技術へと塗り替えられていきます。古くなった知識や技術は、歴史的な観点を除けば、価値がなくなります。能力だけであれば、いずれAIに追いつかれるかもしれません。しかし、その根幹にある「人の役に立ちたい」という意思は人に特化したものです。人との関わりの中で、共によりよいソリューションを見つけていこうとする人の姿勢は、どのように技術の進化が進んだ時代でも変わらず求められる、永遠のニーズです。その意思とアプローチ力がある限り、翻訳者の出番はこの先もなくならないのではないでしょうか。

翻訳にはさまざまな気配りが必要

原稿の作者に寄り添う。読者に寄り添う。クライアントの都合に寄り添う。そうした全方位的な心配りをしながら、私たちは今日も「人の役に立てる」翻訳となるための訳文を作っています。効率的かつ迅速に訳語を引き当てる、というAI翻訳の利点も活用しながら、しかしこれには頼りきらない、人間による「おせっかい」を、当社ではこれからも大切にしていきます。


最後に、和訳の達人として知られる安西徹雄氏の言葉を紹介します。

 

考えてみれば翻訳とは、二つの言語間のギャップを、いちばんのっぴきならない形で乗り越える作業だといえる。

出典:「英語の発想」安西徹雄著、ちくま学芸文庫

 

AIの台頭よりずいぶん前に書かれたこの言葉は、翻訳が本来持っている原点としての難しさを的確に表していると思います。情報化時代がさらに進む中でも、この原点を守り、私たちは今後も、言語間にあるギャップを鮮やかに乗り越え続けてゆく努力を続けてゆきます。

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